こがナビ 古河市観光協会

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歴史スポット 史跡

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鷹見泉石記念館外観

鷹見泉石記念館

■駅から 約1.2Km 徒歩15分 ■所在地 古河市中央町3-11-2(歴史博物館の道を挟んだ向かいです) ■お問い合わせ先 TEL:0280-22-5211 ■開館時間 午前9時~午後5時 (ただし入館は午後4時30分

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鷹見泉石生誕の地碑

鷹見泉石生誕の地碑

■駅から 約0.9Km 徒歩12分 ■所在地 古河第一小学校北側 家老として、藩主土井利位(としつら)に仕えた古河藩士、鷹見泉石が誕生した場所です。 泉石は、古河藩主土井利位が大阪城代であった折りに「大塩平八郎の乱」で鎮

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史蹟 古河城下高札場跡

高札場跡

街道を狹んで、足利銀行の前に若野屋呉服店というお店があり、その脇に「史跡高札場跡」の石碑が立っています。 江戸時代、藩や幕府のおふれ書「高札」を立てた場所です。 庶民が集まって高札を見ている往時の状景が目に浮ぶようです。

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古河提灯竿もみ祭り 発祥の地の石碑

若杉鳥子文学碑

もと来た道を少し戻り最初のT字路を右に入ると先程の正定寺山門前の道になります。突き当りを右折すると、江戸時代がしのばれる面影を残す街並みになります。古河を代表する景観といえるでしょう。 300メートル位で横町柳通りになり

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肴町 米銀店舗入り口付近に設置された、古河藩使者取次所(御馳走番所)の石碑

肴町、古河藩使者取次所(御馳走番所)

肴町、米銀のところに大名の使者を応接する役所がありました。役人は客を迎えるために馳り廻るので、ここの役人を御馳走番所ともいいました。肴町というのは職業名の町名で、川魚を扱う御用商人がいたことによります。肴町通りは、古河城

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肴町を坂長(西側)より見た景色

肴町

西口から停車場通りを直進すると、日光街道に突き当たります。日光街道を左折するとすぐ館林方面への交差点になりますが、そこは直進し次の信号を右に入ると肴町になります。肴町は城下町の風情を残し、かつて酒類の販売をしていた坂長の

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福法寺山門

福法寺山門

肴町に入って最初の十字路を左折すると、すぐ右側に福法寺があります。福法寺の山門は旧古河城内の二の丸御殿の入り口にあったとされる門で乾門といわれ、市内に現存する唯一の城内遺構の門です。 明治7年、城取り壊しのとき檀家の一人

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石造宝塔

石造宝塔

■所在地古河市関戸906-1 ■郵便番号 〒306-0205    総高201センチメートル、凝灰岩(ぎょうかいがん)製の石塔。笠部は本瓦葺風で、笠裏には軒や垂木(たるき)も彫り出し、木造建築を模したような造作である。銘

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土手の上より駅方面(東)に伸びる道路

片町通り

頼政神社の階段をおり、左へ進むと片町通りに出ます。 乙川優三郎著「冬の標」に奥原晴湖がモデルと思われる画家志望の藩士の娘が登場しますが、その一節に 「追手先の白壁町にある屋敷から、外堀に沿って西へゆくとじきに家並みは途切

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渡良瀬堤防

 片町通りから渡良瀬堤防上に出ます。三国橋から南方向の堤防上に古河城跡の表示があります。古河城は曲亭馬琴「南総里見八犬伝」の舞台の一つです。古河城芳流閣上の決闘は、前半部のクライマックスとして有名だが、古河城の櫓をモデル

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アパートの敷地道沿いに設置された河口信任旧居跡の説明プレート

河口信任旧居跡

宗願寺を出て右に向かうとすぐ信号機がありますが、そこを直進すると200メートルほどで獅子が崎の土塁からの道との十字路になります。右に折れ、民家に沿って道なりに左にまわると道が広くなります。右に進むとすぐ「古河城追手門跡」

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正定寺本堂

正定寺と隆岩寺

ここから左方向へ、次の信号機を渡ると右側に正定寺参道があります。古河は寺の多い町で、市内にざっと26ヶ寺ほどあるが正定寺は土井家の菩薩寺であり、古河を代表する寺院の一つです。 正定寺 正定寺 隆岩寺​

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杉並通り旧武家屋敷外観(塀)

杉並通り

隆岩寺本堂と呑龍堂の間の路地を抜けると、杉並通りに出ます。 この通りは、赤レンガと雪華をイメージして造られた道で、武家屋敷のおもかげを残す街並みと調和してなかなかの景観をかもしだしています。 テレビや雑誌、ポスター等にも

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本陣跡(ジョイパティオ入り口)石碑

本陣跡

■駅から約0.3Km 徒歩4分 ■所在地古河市中央町1丁目2-37付近 駅前通りを西に歩いて行くと、旧日光街道に突き当たります。常陽銀行を右に見て、正面に商店街ジョイパティオがあり左角に足利銀行があります。ジョイパティオ

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旧飛田家住宅

 この民家は、もと飛田徳有氏(茨城県常陸太田市)の所有でしたが、事情により当地に移築したものです。 飛田家の由緒については詳らかでなく、初代夫婦のものと思われる位牌に延享元年(1744)及び寛延元年(1748)の没年が記

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