こがナビ 古河市観光協会

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歴史スポット 史跡

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旧茂田家住宅

旧茂田家住宅

■所在地 古河市駒羽根620 ■お問い合わせ先 0280-92-7300   ■郵便番号 〒306-0221  整形四間取りで内馬屋をもつ、直屋(すごや)型の古民家である。正面の軒先に船枻(せがい)造りがみられ

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旧中山家住宅

 もと茨城県岩井市(現在の坂東市)に建てられていたが、昭和50年、中山氏の寄贈により古河公方公園(古河総合公園)内の民家園に移築された。 猿島地方に多くみられる「直屋(すごや)」といわれる典型的な「田の字」型の造りとなっ

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日光街道古河宿道標

まち歩きも終わりに近く、いよいよ古河駅に向かいます。 杉並通りを道なりに進むと、日光街道曲の手通りに出、その先に二丁目交差点があります。 曲の手通りを背にした二丁目交差点の角(下記Googleマップ参照)に「日光街道古河

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日光街道(若野屋西側から日本橋方面)

日光街道から肴町通りへ

西口を出て停車場通りを直進すると、約400メートルで旧日光街道に出ます。 日光街道は、東照宮が日光に造営された元和3年(1617)以降、日光社参と奥州への道として整備されました。日本橋を起点とした五街道の一つで日本の幹線

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旅館「芳流」跡地に建つホテル

旅館「芳流」跡

信任旧居跡を過ぎ左方向にまわりこむと、日本旅館「芳流」跡(現在はホテル)があります。中村真一郎著「感情旅行」の舞台となったところであり、草野心平、城山三郎など多くの文人」が滞在しました。屋号は「南総里見八犬伝」に由来して

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文学館外観

文学館へ

坂長の角の十字路を左折し、福法寺の山門を過ぎ直進すると三神町通りに突き当たります。右折するとほどなく通称、出城といわれるエリアになります。歴史博物館、鷹見泉石記念館、文学館がいずれも至近距離にあります。文学館は、お堀のは

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徳源院跡

徳源院跡

■所在地 古河市鴻巣399-1 ■お問い合わせ先 0280-47-1129   ■郵便番号 〒306-0041  5代古河公方足利義氏の息女・氏女(うじひめ)の法号から徳源院と称した寺の跡。現在、「古河公方足利

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古河駅西口「古河観光案内所」外観

古河駅西口

JR古河駅改札口を出てすぐ右手に観光案内所があるので立ち寄ってみましょう。各種パンフレットが用意されており、観光ガイドが午前10時から(土・日・祝祭日は午前9時から)午後3時まで詰めているので、いろいろ情報が入手できます

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古河藩使者取次所

古河藩使者取次所(御馳走番所跡)

「高札場跡」より、200m程南に行くと信号があり、西へ入る道があります。 この道は「肴町(さかなまち)通り」といい、お城に通じていました。 道沿いの米銀商店の片隅に、古河藩使者取次所(御馳走番所跡)の石碑が立っています。

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お休み処 坂町

古河城文書蔵

米銀商店から一軒おいて隣に「お休み処 坂長(旧:坂長商店(酒屋))」という蔵造りの建物があります。 この建物は、もと古河城の文書蔵を移築したものです。■駅から 約0.6Km 徒歩8分 ■所在地 古河市中央町3丁目1-39

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歴史博物館周辺外観

古河城出城跡、歴史博物館周辺

福法寺を過ぎ直進すると、お茶屋口からの道に突きあたります。この道は、将軍が日光社参の折、古河城に宿泊するため、日光街道御茶屋口から城に向かう道筋でした。右折して200メートルほど進めば歴史博物館周辺にでます。ここは古河城

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古河城お茶屋口跡の石碑

古河城お茶屋口跡

■駅から 約0.8Km 徒歩10分 ■所在地 古河市中央町3丁目6-1 ■web 下記の説明文に記載されている肴町 御馳走番所 のページはこちら 将軍の日光参詣の宿泊・休憩は、岩槻・古河・宇都宮の三城を原則としていました

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古河公方館跡

古河公方館跡

■所在地 古河市鴻巣399-1 ■お問い合わせ先 0280-47-1129   ■郵便番号 〒306-0041  永享の乱(1438~39)によって自害した鎌倉公方足利持氏(もちうじ)の四男永寿王は、後に元服し

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